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ノーラ・ナイティンゲールが記憶を取り戻し、ヘッドナビゲーターに復職してから数日。

ノーラは、自分のいなかった数ヶ月分の情報や仕事を補填するために、以前にも増して書類に追われていた。

しかし平生の仕事量でも大抵目を回していたノーラが、復帰直後に、しかも平生以上の仕事を一人で相手にできるはずもなく、
結局と言うべきか、頼れる同僚、シグマンド・テイラーに助けを求めることになった。


「ごめんテイラー氏、日付が変わる前には片付く予定だから…」

「「予定」な」

「ゔっ…」

首を絞められたようなうめき声を上げるノーラを見て、テイラーは内心安堵した。


この数ヶ月、おそらくノーラの不在を最も気にかけていたのはテイラーだった。
担当区が近いというのもあるが、何よりも「自分を庇って記憶を失った」という事実が、テイラーの心を酷く絞めつけていた。

だからこそ、ノーラがこうして帰ってきた時には、誰よりも喜んだ。

そして、前と変わらずこうして自分を頼ってくることに、呆れと、少なからず安堵と誇らしさのようなものも感じていた。

「まったく、仕方ねえな」


23時を少し過ぎた頃、ノーラはふうっと大きく息をついた。

「よし…、今日のノルマ、終わりーー!
あとは少し床を片付けるだけ!」

「思ったより早く終わったな、もっとかかると思ってた」

「時間に余裕のあるプランを、時間に余裕のあるうちに立てる事を覚えましたから。
私は成長しました」

そんな事を少し楽しげに言うノーラを見ながら、
「そうか、自分の知らないこの数ヶ月で、こいつも何か転機みたいなものが当然あったんだろう。
その中で、何かを掴んで成長しててもおかしくないのかもしれないな」などとぼんやり考えているうちに、

なぜだか妙に寂しくなって、

そして、気づいた時には、
自然と、手が動いていた。
「もちろん、予定より早く終わったのはテイラー氏の… わっ」
テイラーは、掴んだノーラの腕が、わずかに跳ねるのを感じた。
拒むというよりは、驚きに近いのかもしれない。
しかし、そのわずかな反応で、テイラーは、
我に返った。
自分は何をしようとしているのだろう。
自分は何がしたかったのだろう。

「…テイラー氏?」
「… 悪い」

名前を呼ばれ、テイラーはようやく手を離した。

「お前がいなくなってから…ずっとお前が元気でやってるかなって、考えてた」
「…」
「お前が帰ってきて、本当嬉しかったんだ」

「…テイラー氏」


「帰ってきたお前が少したくましくなってて、それは嬉しいんだけど、そうなったのは俺のせいだって思うと、なんか…辛くて」

頭の中は真っ白だった。
それでも、どこから流れてくるのか、言葉はずるずると口から出てきた。

「なんか俺のせいで、お前が…なんていうか、前と変わっちまったんじゃないかって、おかしいよな、帰ってきて、ちゃんと全部思い出して、しかも一段と頼れる奴になったのに」

自分の言葉なのに、まるで知らない他人が喋っているような感覚だった。

「でも…そんな事言われても困るよな。
ちゃんとお前はここにいるし、ちゃんと仕事だってできてるんだから」

「…なんだか、すごく心配かけたみたいで、ごめん」

「お前の謝ることじゃない」

「テイラー氏、その…何か私に手伝えることがあるなら、できるかはわからないけど、できるだけ手伝うよ」

やめてくれ。
今俺は、せっかく立ち止まろうとしたのに。

「…それなら」
そんな言葉をかけないでくれ。
「何もしなくていいから、そこにいて、少しの間目を瞑ってくれないか」

ノーラは何も言わず、言われた通りに目を閉じた。

馬鹿。
なぜそんなに素直に受け入れてしまうんだ。

たった一言、「何故」とだけでも聞いてくれれば、「忘れてくれ」と言って踏み留まることもできたのに。

テイラーの足はゆっくりと、しかしまっすぐにノーラのいる場所を目指した。

上から覆いかぶさるようにして、そっとノーラの背中に腕をまわす。
触れた瞬間またぴくりと震えるのを感じたが、今度は止まらなかった。
そして、閉じたままのノーラの目から顔をそらすように、彼女の肩に頬を乗せた。

そして、自分の胸にぽっかりと空いた穴に彼女を当て嵌めるように、両腕にぐっと力を込めて抱きしめた。

ノーラが生きている。
生きて、ここにいる。
それだけで充分なはずなのに。
これ以上、俺は何を求めようとしているんだ。
頭ではそう考えても、腕の力は緩まない。

ノーラは今どんな顔をしているだろう。
困っているだろうか。
嫌がっているだろうか。
その答えはすぐ隣にいるが、確かめることはできなかった。
顔を上げるのが怖かった。
ここまできておきながら、テイラーはまだ怯えていた。

その時、不意に、自分の背中に何かが触れるのを感じた。

「えっと…これで合ってますか?」

ノーラが遠慮気味に背中をさすりながら、そう聞いてきた。

テイラーは肯定する代わりに、
目を閉じて深く息を吐き、抱きしめる腕からほんの少し力を抜いた。


情けない。

今度こそ自分が助けようと思っていたのに。

またこうして助けられて。

そんな自分が殺したいほど嫌なのに、この体はどうしても動かない。
いっそこのまま消えてしまいたいとすら思った時、
カツンッ…
と、軽い金属音が聞こえた。
音のした方を見てみると、アゾッタが、背中を地面につけて起き上がれずにもがいていた。
ノーラもその音に気づき、さする手を止めてアゾッタの方を振り向いた。

アゾッタはしばらくの間じたばたしていたが、やがて自分の体をうまく転がし寝返りをうつと、しゃかしゃかと足を動かして出入口の方へ向かっていった。

「あれっ…アゾッタ? どこにいくのアゾッタ!?」

アゾッタの後を追って、ノーラも出入口のドアへ走っていった。

その場に一人取り残されたテイラーは、しばらく呆然としていたが、やがて気の抜けたようにふっと笑うと、床に散らばる書類を拾い、集め始めた。

 

 

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