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シグマンド・テイラー。

彼を最初に見た時、空っぽな笑い方をする人だと思った。
その理由も大体想像がついた。
何しろ、普段から親交のあった同僚があんな目に遭ったのだ。引きずるのも無理はないだろうと思った。
せめて、これ以上の負担は掛けないようにしようと、自分なりの努力をした。

いつかあの曇った笑顔を晴らしてみせようと。


うぬぼれが無かったとは言わない。
チャンスだとも確かに思った。
私だって、ヘッドの務めを果たせるんだと意気込んでいた。

 少なくとも、半年前は。

「…Nav.ナイティンゲール」
両手に書類を抱え、キーラ・T・アサバは、数日前まで自分が使っていた事務室のドアの前にいた。
鍵は開いているようだが、呼んでも返事がない。
もう一度呼ぼうとも思ったが、どうせ開いているなら入ってもいいだろうと、
何も言わずに肩でドアを押して入ることにした。

見慣れた「元」自分の部屋は、引っ越したばかりのような散らかりようだった。

床に散らばる書類の端を踏みながら、キーラは奥へと進んでいった。
広めの部屋にさしかかったところで、電灯にぼんやりと照らされるノーラの背中が視界に入った。

「いたなら返事してくださいよ、Nav.ナイティンゲール」

そう言ってやろうとしたが、喉まできたところでそれは搔き消えた。
ノーラの他に、もう一つの人影が見えたからだ。

シグマンド・テイラーが、目を閉じ、覆いかぶさるようにしてノーラの肩を抱いていた。
眠っているような、それでいて涙をこらえているような表情は、今までキーラが見たどんな彼の表情とも違っていた。
ノーラはテイラーの胴に軽く手を回し、されるがままになっている。

二人が何を考えてそうしているのか、キーラは知らない。

しかし、彼らの間に、自分の知りえないものがあるのだろうということは理解できた。

そして、彼らと自分の間に隔てられた時は、絶対に埋まることはないだろうということも。

彼らと自分では、共に過ごしてきた時間が違うのだから仕方ない。
仕方ないことだと分かっているのに、
「もし、ああして抱かれているのが自分だったなら」
などという考えを、キーラは振り払うことができなかった。


床に辛うじて空いたスペースを見つけ、静かに書類を置こうと身をかがめたキーラは、デスクの下になにかが潜っていることに気が付いた。
じっと見ているうちに、キーラはそれが、つい最近まで共に仕事をしていたウチノコ、アゾッタだとわかった。

アゾッタは目が合ったのがキーラだということに気が付くと、かがんでいるキーラの膝を踏み台に、肩へと飛び乗ってきた。
キーラはそっと書類を置き、ひやりとした頬をすり寄せてくるアゾッタを指先でなぞるように撫でた。

数日前と何も変わらないアゾッタの行動が、今のキーラにはとても愛おしく、切なかった。

「ふふ、違うよアゾッタ。今のご主人様は…あっち。」
そう囁いて、キーラはアゾッタを両手で持ち上げ引き離す。
そして、ノーラとテイラーのいる方向へ、ぽいと放った。

カツンッ…と、

思ったよりも大きな音をたてて床に落ちたアゾッタは、その場で起き上がれずにじたばたと足を動かしていた。
その音に気づき、テイラーがノーラから体を離すのを見届けてから、静かにドアを閉じ去っていった。

「少し、かわいくない事したかな」
薄暗い廊下で、キーラは一人呟いた。

 

 

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