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「すまねえ…本当すまねえ…ありがとうテイラー氏…」
「まったく…お前はいつもいつも…」
今にも千切れそうな声でそう呟くノーラを横目に見ながら、テイラーは袖をぐっと捲り上げ気合を入れ直した。
「ほら、やるぞ!最悪の場合泊まり込みだ!」
「ウッス…」
不本意ながらも慣れた手つきで、テイラーはデスクにそびえ立つ書類の山に手を突っ込み、そのうちの何十枚かを引っこ抜いた。
それに続いて、ノーラも上の方から慎重に山を崩しにかかる。

二人が努めて視界に入れまいとしていたデジタル時計の表示は、すでに20を超えている。




「こうなるとは思ってたよ」
ベランダで夜風にあたりながら、一時の休息を取るテイラーは、誰に言うともなくぼやいた。
「最悪の場合泊まり込みだ」などとは言ったものの、実際その「最悪の場合」にはしょっちゅう立ち会っている。ペンの散らばる床で寝るのももう慣れてしまった。
地獄のような眠気の中で、朝日に怯えながら、しかも自分のものでもない、仕事と格闘した時もあった。
しかしそんな状況でも、不思議と心から嫌になることはなかった。
我ながらお人好しだな、などと思いながら、テイラーは部屋へと戻っていった。


ドアを開くと、2本目の栄養ドリンクを摂取したノーラが、一段と濃くなった隈を両手で揉んでいた。
「あ…お帰り、テイラー氏」
「ただいま。お前も少し休んだらどうよ」
「いやいや、頼んだ立場の私がサボるのは申し訳ない…」
「「サボり」じゃなくて「休憩」。いいから少し寝ろ」
そう言って、ノーラの両腕を掴み、布団へと引きずるようにして運んでいく。

「私は…まだ頑張…ぅああ… れる…」
「あくび出てるぞ」
「うあ」
意地をはる元気も尽きたノーラは、あくびで開いた涙腺もそのままに、ぱたりと目を閉じた。
テイラーはしばらくその寝顔を見つめていたが、瞼に圧されて溢れた涙が頬を濡らしていく様を見ているうちに、なぜだか息がつまるような感じがして、慌てて目を逸らした。

白衣の上から掴んだ彼女の腕は、思っていたよりもずっと細く、軽かった。
まだ手のひらに残っているその感触と、自分の後ろで静かに寝ている同僚を結びつけることを、テイラーは躊躇った。
きっと眠いせいだと自分に言い聞かせながら、テイラーは未だデスクを彩る書類たちへ向かっていった。

2時間程経ったあたりで、テイラーは後ろでかすかに物音がするのに気がついた。
「…起きてるのか?」
「かろうじて…」
振り向くと、そこには限りなく細く目を開いたノーラが、こちらを見ていた。
「悪い、大して進んでない」
「そー…っか…」
ノーラは顔をぐらぐらと振りながら、落胆とも寝惚けともつかない声を出した。

薄明かりを帯び始めたカーテンが目に入り、テイラーは思わず弱音をこぼす。
「泊まり込みでこれじゃ、俺がいてもいなくてもあんま変わらなかったかもな…」
「いやいや、そんな、ここまで一緒にやってくれただけでも充分ありがたい…」
意識朦朧としながらも自分のフォローをするノーラに対し、テイラーは何かが胸のうちからこみ上げてくるのを感じた。

しかし、それの正体を確かめる前に、それは明瞭な罪悪感へと変わっていった。
「(…まるで、俺がその言葉を言わせたかっただけみたいじゃないか)」

 

 

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