JUNK YARD
ひどく寝覚めの悪い朝だった。
今でも脳裏に焼きついている。
恐怖に歪む表情。
一度きりの叫び声、そしてあっけない絶命音。
それが夢だとわかってなお、守之の心に芽生えた後悔は消えなかった。
仕事上、人の死は何度か目にしてきた。情報集めのために死体を漁ったことだってある。
「たかが夢で」と、自分を嘲笑してみるも、一向に心が落ち着く気配は無い。
自分はもっとドライな人間だと思っていたのに。
「…ちっ」
あの忌まわしい夢から数日が経つ。
気が付けば、また夢の事を考えている。
昨日や一昨日と代わり映えのしない思考を続けている自分に嫌気が差し、思わず舌打ちが出た。
あれは所詮は夢であって、現実ではない。全ては自分の脳が生み出したまやかしなのだ。
そう強く念じ、守之は出口のない思考の輪をねじ切ろうとしていたところに、
突然電話の音が鳴り響いた。
番号を見ると、それは見慣れた番号-アントニンの事務所からの電話だった。
「…はい、こちら猛探偵事務所です」
一応探偵事務所らしく、形式ばった挨拶をする。
いつもなら直後にアントニンの罵声か懇願が飛んでくるところだが、今回は違った。
「もしもし、猛くん?私よ、エリザベート。
少し、手伝ってほしい事があるの…アントニン君の事で」
ああ、まさか。
嘘だと言ってくれ。
「ああ、守之か、どうしたんだ急に」
アントニンは、時計をしきりに確認しながら、事務所にやってきた守之に声をかけた。
守之は、その様子を見て、目を少し細めて口を開いた。
「…忙しそうだな、この後予定でもあるのか?」
「いや、そういうわけじゃないんだが…どうも気になって」
「最近鏡を見たか?」
「? いや…見てないと思うが」
「見た方がいいぜ、ひっどい顔だ。まあ元からか」
「そうか…」
「………」
守之は何も言わず、アントニンのいるデスクの前まで歩いていった。
「汚ねえ机だな」
守之は、机の上に散らばり、所々で山になっている資料や依頼書の山を一瞥して言った。
そして、その中のうち数枚を拾い上げた。
「これ、仕事の書類だろ?」
「あ、ああ」
曖昧な返事をしたアントニンは、相変わらず腕の時計をちらちらと見ている。
「ずいぶん散らかってるな、お前にしては珍しい」
守之は吐き捨てるようにそう言うと、デスクに置かれているアントニンの腕の上に、
叩きつけるように書類を置いた。
腕時計と自分の目の間を阻まれたアントニンは、そこでようやく、守之の顔をまともに見た。
「…守之、お前、顔色悪くないか?」
「うるさい」
「なあ、どうしたんだ守之。今日のお前、少し変だぞ」
そう言いながらアントニンは再び腕時計を確認しようとするが、
守之は書類を巧みに動かしそれを的確に阻んでいる。
「こっちの台詞だ。こんなに仕事溜め込んで、真っ黒に隈まで作って。」
「ちょっと集中力が落ちてるだけだ。それより腕を…」
「「ちょっと」で済んでるなら俺はこんなとこに居ないんだよ!!」
唐突に放たれた怒号にも似た大声に、アントニンは思わず守之の顔を見、硬直する。
守之の顔は、怒りに震えるような、それでいて、どこか涙をこらえているような表情に見えた。
守之は一度目を閉じて息をつくと、再びアントニンを見つめなおし口を開いた。
「…お前、しばらく寝てないだろ」
「…!」
「時計が気になって眠れないんだろ」
図星を突かれたアントニンは、思わず眉を寄せた。
「なんで、分かったんだ」
「今のお前に説明したって無駄だ。とりあえずお前は早く寝ろ。それが最優先だ」
「しかし…」
「時計なら今ミス・マクアドールが持ってきてくれる。
それでも足りなきゃ俺が手配する。」
「でも、仕事が」
「三日粘ってこの様なら何週間やったって同じだ」
そう言って、守之は持っていた書類を適当なところに放り投げた。
そしてアントニンの腕を両手で掴むと、無理やり寝室へと引きずるようにして運んでいった。
「猛くん、あなたは、あの夢の事を覚えてる?」
「…全部覚えてるよ。嫌になるくらい」
かち、かち、かち、かち…
幾重にも重なる秒針の音に囲まれて、アントニンはようやく寝息を立て始めた。
「きっとこいつも覚えてるんだ。だからこんな目に遭ってる」
しばらくの沈黙のあと、エリザベートは慎重に切り出した。
「…アントニン君、あれからずっとこんな調子ね」
「…」
「あなたもそろそろ疲れてきているでしょう」
守之は答えなかった。
「…ねえ、もし、」
エリザベートはそこまで言うと、守之から目を離した。
そうしなければ、その先を言葉に出すことはできなかった。
「もし、アントニン君が、このまま、その…戻らなかったら」
「いやだ」
「…え?」
唐突に口を開いた守之の言葉は、エリザベートが想像していたよりもずっと素直だった。
守之は早口に言葉を続けた。
「このゴリラにはまだまだ貸しも借りもあるんだ、戻ってもらわなきゃ困る」
「…何か考えはあるの?」
「今はまだ無い。でも、これから見つける。どんな手を使っても、必ずだ」
少し眉間にしわの寄ったアントニンの寝顔を見つめながら、守之は強い語気でそう言った。
「…心配なのね」
「心配なんて感じじゃない、俺はこいつが俺の冗談に付き合わないのが気に食わなくて、
またこいつの間抜けた呆れ顔を拝んでやりたいだけであって…
何笑ってるんだ、ミス・マクアドール」
「ふふ、ごめんなさいね」